Lx 攻略情報53 大書庫で閲覧した書物7【武具の探究者ラカタン】

【武具の探究者ラカタン】
        ―テドラスク・クーバン著

 煌鉄時代、ロプの国の鍛冶職人であったラカタンは、日頃から邪悪な魔物に平和を脅かされ、苦しむ人々を見て憂いていた。そして人々に必要なのは魔物から身を守る備えだと考えたラカタンは武具探しの旅に出る決意をする。数名の弟子を連れて世界各地を巡り、武具の知識や製法、また武具そのものも集めた。費やした年月はゆうに20年を越える長い旅となった。旅を終えてロプの国に戻ったラカタンは、集めた武具を古いものは打ち直し、また自らも集めた製法に習っていくつも武具をつくった。また弟子のヘメルと共にこれらの武具の知識や製法を書にまとめた。


 ここに彼がつくった武具の一部を紹介する。
 ・地剣テンゲンアカツキ
 ・焔弓フテンヤシナ
 ・冥刀アラクニシガリ
 ・幻玉エンサユウヅツ
 ・天鎧ハッコウヒノウマ
 ・彩衣ゴシキテンヨウ
 ・耀兜ギンカンノブセ
 ・朔刀センジュウキフネ
 ・八斧オニグモセッカ
 ・飄槍ゼクウアキカゼ
 ・黒槌ケンノウアメツチ

 ラカタンは晩年、旅で手に入れた『聖なる種』についての研究に明け暮れた。千年の森を守る勇者の武具と深い関係があるとのことだったが、終には真実にたどり着くことができないまま失意のうちに生涯の幕を閉じた。享年86歳。

 彼がこの長い旅の中で得た武具に関する知識や技術は、現在の武具製造の発展に多大なる影響を及ぼしている。また、彼のつくった武具の一部は現在も彼の工房に収蔵されているが、「正しき者の手にあり悪を討つためにあるべき」というラカタン本人の意向によりその多くは世に出回っている。本書の読者の中でもし彼の武具に出会うことがあったら、是非彼を偲び思いを馳せてほしい。
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Candy Making! ver.1.1.14公開しました!

思いついたように

Candy Making! をアプデしました


内容としては、ラストバトルまわりのイベントを

改良しています


具体的に言うとネタバレになってしまうのですが、

演出を「わかりやすく」した感じです


前々から、

というか、作りながら

今後差し替えていこうかと思って

そのまま手つかずにしてたところです


Lxの方も直したいところはいっぱいあるのですが、

それは正直次回作に持ち越すほうがいいかなと

思いながら、3x3マスRPGをつくっています




Lx 攻略情報52 大書庫で閲覧した書物6【根源の邪竜についての研究】

【根源の邪竜についての研究】
        ―キドニア・センデラル著

 聖書の『邪竜退治』には、数少ない根源の邪竜についての記述がある。創造主メルノティがこの世界をつくり、つかさどる者としてソトル神とカーサリ神をつくった。そしてソトル神とカーサリ神がこの世界でまず行なったのが根源の邪竜の討伐だ。
 根源の邪竜という名の通り、この世界のすべての悪の源であり、禍々しい瘴気をまとった巨大な魔物として描かれる。ソトル神とカーサリ神は、メルノティから借り受けた「夜明け薙ぎの剣」(あるいは「宵切りの剣」)と数々の魔術で根源の邪竜に挑んだ。戦いは熾烈を極め、ソトル神をかばってカーサリ神が太腿に傷を負うが、ついにはソトル神の剣が邪竜にとどめを刺した。しかし邪竜の死骸からも禍々しい瘴気は消えなかった。2人は仕方なく邪竜の死骸を細かく切り分け、世界各地の地中深くに封印した。これでこの世界の巨悪は滅したと思われたが、長い年月の間に邪竜の死骸の小片がまとう瘴気が周囲の地を侵し、その瘴気から魔物が生まれ始めた。これが現在にまで世界中に魔物が跋扈している要因だとされている。根源の邪竜は「竜」と名がついているが実際には「竜」であるかどうかも不明である。
 
「ソトルとカーサリは鋭い剣を使って
 邪竜の死骸を
 血肉、鱗、皮、骨、歯、翼、角に切り分けた」
    ユーミティア語訳聖書「邪竜退治」より

 一般に知られている聖書には「邪竜」と訳されているが、古文書の翻訳前の記述は古代語で「魔物」を意味するものとなっている。鱗や角、翼がある魔物のイメージを「竜」と見るのは容易であるが、民間伝承や宗教画では魔道書に載っているような悪魔のような姿で描かれたり、果ては大きな獣として描かれる例もある。
 根源の邪竜に関して最も不可解とされているのは、その存在である。創造主メルノティによる世界創造の後、この世界を託されたソトル神とカーサリ神がまずはじめに行なったのが邪竜退治だ。となると世界創造のときにすでに根源の邪竜が存在しているということになる。この世界の創造と同時に邪竜も生み出されてしまったのか。あるいは、創造主メルノティが意図して邪竜までもつくり出したのか。この世界のはじまりを語る上でも最も謎に満ちた点である。

Lx 攻略情報51 大書庫で閲覧した書物5【空見の民】

【空見の民】
        ―シドラル・カシウス著

■空見(うつろみ)の民
 グレドエルム大陸のケトゥラ族、ウィルブス大陸のバルベル族、キルプ諸島のニシュタカン族など世界各地に居住するククマウル民族の呼称。固有言語はケトゥ語であるが遊牧や貿易を主として栄えたため、現在ではわれわれ同様ユーミティア語を話す人が多い。元々は小民族であったが信仰のために世界各地を旅しそれぞれの地域に分化していったとされている。彼らの信仰の対象は『マハロド』と呼ばれる母なる神、そしてマハロド神が住まう天空の島『エムロファト』である。またマハロド神話に神の使いとして登場する様々な動物も彼らの信仰の対象となっている。伝統的な装飾にも多くの動物が見られ、代表的なものとして幸運を呼ぶ青いうさぎがよく知られている。空見の民たちの文化で最も有名なのが『試練の旅』の掟だろう。この掟のために彼らは一つの場所に定住せず、家や領地を持つ者も毎年長期の旅に出かける。特異な例として空見の民が国家持ったセパラ王国があるが、その国王でさえ年に一度、雨季と乾季の境に王宮を離れ、見聞を広めるために領内や他国まで旅をする。これはセパラ国では最大の行事となっており、この時期に合わせて大半の国民も『試練の旅』に出るため、王都は閑散とする。


■マハロドの神話
 太古の昔、島国ククマウルに「マハロド」と名乗る者が光り輝く空飛ぶ船で降り立った。マハロドは人々に同じ言葉で語りかけ、動物や植物、薬の知識、建築や治水の技術など様々なことを教えた。ククマウルの人々はマハロドを親しみ敬い、ククマウル王もよく話をし助言を求めた。
 しかし、しばらくするとマハロドはまだ為すべきことがあるためこの地を離れなければならないことを告げる。別れを惜しむ人々にまたいつの日か再会すること、そしてそのとき豊かになった国を見せてほしいということを約束をする。最後にマハロドは天高き雲の上に住まうため島を一つ譲ってほしいと王に頼んだ。王がその通りにするとマハロドは空飛ぶ船と共に島を空のかなたに連れて行った。人々はマハロドが神であったに違いないと言い合った。
 しばらくのち、ククマウルの国は未曽有の大災害に見舞われ、海の底に沈んでしまう。帰るべき故郷を失い、マハロドとの約束も果たせなくなった人々は絶望の淵に立たされる。そしてマハロドと再会するため、また唯一残された故郷である天空の島に行きつくために人々は旅をし続けることを誓った。人々はその地を「エムロファト(雲間に隠れた場所)」と呼び、長き『試練の旅』の終着点としたのだった。

Lx 攻略情報50 大書庫で閲覧した書物4【物神二元論】

【物神二元論】
        ―リィディ・ラハタナ著

 この世界に存在するあらゆる物質、物体は「オード」と「エアン」によって構成されている。「オード」とは「形あるもの」を意味し、物理的世界においての実体をさす。主に肉体や形骸などがこれにあたり、「魂を入れる器」と表現されることもある。また「エアン」とは「目に見えないもの」を意味し、精神的世界においての実体をさす。魂や霊体などがこれにあたり、肉体を動かすための自我や意思をつかさどる本質と言われている。これらの名称は聖書の「天地創造」に描かれているものを引用している。

『メルノティはオードを手に取り、途方もない時間をかけて世界を形作った。次にメルノティは途方もない時間をかけて世界のすべてをエアンに浸し、生命を吹き込んだ』

『メルノティは世界のすべてを治めつかさどる存在として神をつくることにした。オードを手に取り人間に似せた形を2つつくり、エアンにた
っぷりと浸し永遠の命と大いなる力を与えた。メルノティはその2つに「ソトル」と「カーサリ」という名を授けた』

『ソトルとカーサリにとって、広い世界と多くの生命は手に余った。そこでメルノティがしたことをまねて他の神々をつくることにした。2人で手分けしてオードで形をつくりエアンに浸した。メルノティのつくった自分たちに比べると不格好で不完全であったが、とにかくたくさんつくった。』

        メルナ教 聖書「天地創造」より

 聖書によれば「オード」「エアン」は名称こそたびたび登場するが、扱いとしては非常に概念的でありそのもの自体が何であるかにはほとんど言及されていない。判明していることは、これに触れた者は世界をつくった創造主メルノティと、それをまねて他の神々をつくったソトル神とカーサリ神しかいない。古代語で「目に見えないもの」を意味する「エアン」は確かに少なくとも我々人類には見えないが、創造主と双神には創造の材料に扱えるほど充分に見えていると読み取れる。そして、聖書の記述から「オード」はどうやら形をつくるのに適した素材、泥やパン生地のようなものではないだろうか。一方「エアン」は「形作ったオードを浸す」という記述から液状のものと考えられる。そして最も注目したいのが、ソトル神とカーサリ神をつくる際「たっぷりのエアンに浸して永遠の命と大いなる力を与えた」という箇所である。オードだけでつくられた器としての肉体に、エアンに浸して本質を宿す。本質とは生命であり力の源なのである。
 「エアン」は一般に言う(自然魔法学的見地における)内在魔力(MP)と同一視されることが多いが厳密には異なる。私がよく用いる例で説明するが、魔法使いは自分の体内に持つ魔力(MP)を用いて魔法を行う。するとその分だけ魔法使いが持っている魔力(MP)が減少するが、エアン(本質)は減らない。魔法使いが内在魔力を使い切ってしまうとそれ以上魔法が使えなくなってしまう。しかし、その時点でもエアン(本質)は減っていない。エアンはその者の本質なのだから、内在魔力と同様に減ってしまったら、魔法を使えなくなった時点で肉体の中の本質が消滅、すなわち死んでしまうことになってしまうのだ。以上のことより、生物はオードの肉体にエアンの本質が宿っており、その生物が持つ魔力はどちらかと言えば肉体の方に属しエアンとは直接の結びつきはないと理解していただきたい。
 この世界は創造主メルノティがすべてオードで形作った。オードでできた山や海、オードでできた木、生き物、人間。そしてそのすべてをエアンに浸すことで、山は山になり海は海になり、木は木、生き物は生き物、そして人間は人間になったのだ。これら聖書に書かれている通り、世界創造の材料となった大量のオードとエアンは当然ながらこの世界ができる前から創造主メルノティが手に持っていたものである。すなわち「オード」と「エアン」こそがこの世界の、そしてこの世界を生きるものすべての根源となっているのだ。

Lx 攻略情報49 大書庫で閲覧した書物3【魔法体系に基づく神々の存在】

【魔法体系に基づく神々の存在】
        ―レメ・エンドラケス著

 メルナ教における双神ソトルとカーサリ、空見の民たちのマハロド信仰をはじめ、数多くの神話や宗教に人知を超えた上位の存在として『神』が信じられている。本書では宗教信仰の対象としての『神』ではなく、自然存在としてこの世界に 『神』が実在するのかについて追求していく。
 現在世界に普及している『古典魔法』は術者が自らの内在魔力(MP)を変換して発現するという体系をとる。一方で、メルナ教会の僧侶たちがよく用いる『神聖魔法』や治療術師が用いる『治療魔法』は、祈ることによって術者の内在魔力を神に受け渡し、神の力が関与することによって術者の元で魔法効果が発現するようになっている。すなわち、『古典魔法』において自らが行う操作を神に委託している形である。これはむしろ、術者の魔力を精霊に受け渡し、精霊が術者に代わって魔法効果を発現する『精霊魔法』の体系に類似しているが、ここで一つ明らかなことは精霊は存在するということである。
 精霊(スピリット)とは意思を持った魔力のかたまりである。ゴーストなどもこれにあたり、ドールやマスクは精霊が人形や仮面に憑依したものである。これらはしばしば自らの意思で人間を襲い一定以上の攻撃を受けると本来持っていた魔力が維持できなくなり消散する。
 このように精霊が意思を持って存在することが明らかである上、術者ー精霊間の魔力の受け渡しによって『精霊魔法』が確立されているのであるならば、『神聖魔法』が体系付けられていることから『神』の存在が導き出せるはずである。改めて断っておくが、ここでの、またこれ以降で扱う『神』とは宗教的信仰対象とする存在ではなく、『神聖魔法』における術者の魔力を受け取り魔法効果として術者に返す役割を持つ存在を指すものである。この『神聖魔法』が世界中のどこでも、また大昔から今この瞬間でも、術者の思惑の通りに発現できていることこそが、『神』の存在証明になり得ているのだ。
 『精霊魔法』と『神聖魔法』の最も大きな相違点は、『精霊魔法』の場合、魔法の代行役である精霊が近くにいなければならないということである。そのため術者は精霊をなんらかの魔法道具に憑依させて持ち歩くか、別の場所から召喚するなどして魔法を使用するときに手の届く範囲におく必要がある。一方で『神聖魔法』の場合、魔力操作の代行役はまぎれもなく『神』であるが、『神聖魔法』の術者は使用の度に『神』を呼び出したりはしないし、ましてや『神』を何かに入れて持ち歩くなどということも行わない。すなわち同様に考えるのであれば『神聖魔法』の魔法の代行役たる『神』は、『我々に近いが、我々とは別の場所に存在している』という矛盾した結論に行きつく。では、その場所どこか。より宗教的な表現を用いれば『神の国、天国』となるだろうが、すなわち我々人類には立ち入ることができない『別の次元』であると考える。もし『神』が我々と同じ世界に実在するとすれば、『精霊魔法』における術者ー精霊間の物体的距離と同様のものを考慮に入れなければならない。術者と精霊が別の場所に居ると『精霊魔法』は発現しない。しかし『神聖魔法』の発現は術者の居場所に関わらない。すなわち『神』は物体的距離を超越した場所に居り、そこで術者の祈りを『聞く』のである。「神様はいつもそばにいて我々の祈りを聞いてくれる」のだ。
 さらに精霊の持つ総魔力量は程度が知れていることは精霊魔法使い1人につき、1体ないしは数体の精霊を使役していることからも推察される。むしろ、複数の精霊魔法使いが同時に1体の精霊に対して魔法を要求した場合、その効果がすべて充分に発現されない事実からも、精霊の総魔力量にある程度の限界があることは明確である。それに比べて神聖魔法使いたちが魔法効果を求めて『神』に祈るとき、その対象はしばしば同一の神となることが多い。例えば、複数の魔法使いが回復の魔法を使用するため、同時に『治療の神』に祈りを捧げたとする。そして魔力の集合体としての『治療の神』がそれぞれの魔法使いに回復の魔法効果を同時与える。このとき、異なる場所でみな同様に充分な魔法効果を得るためには、その『治療の神』が相当量の魔力を持っていなければならない。これは『精霊』が持つ魔力量では到底為しえないことである。
 これらのことからはじめに定義した『神』は、魔法使いたちの多大なる魔法効果の要求に対し充分に答え得る絶大な魔力量を持つ霊体として我々とは別次元に存在している、と結論付ける。

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